五体不満足を読んで。

副題  障害者によっても環境は色々、人生も色々

  著者は重度の障害者ではあるが、非常に恵まれた環境にいたといえる。それは著者自身も認めている。しかし、それがため、大部分の障害者が著者とは反対の劣悪な環境にいることに気づいていないようだ。
著者の障害は外見からして、何ができるのか、何ができないのか、何を助ければよいのか、理解されやすい。しかし、私のような視覚障害は親にも理解してもらえない。その他、内部障害の人もそうだろう。特に弱視と呼ばれる人は健常者と同じ事を要求される。健常者の十倍の努力をしろと強要される。
  普通、健常者が障害者に何か特別の配慮をした場合、健常者は「やってやった」「感謝されて当然」と思っている場合が多い。特別の配慮が当たり前とは少しも思っていない。少しでも健常者の気に入らないことを言うと、健常者が意地悪をする、不利益な取り扱いをするというのは日常茶飯事です。
  つまり、その人によって、家庭環境、生活環境、友人の環境、学校の環境、が異なるということに気づいて欲しい。障害の軽重という安易な基準で、障害者を比較しないで欲しい。
 大人になっても社会に溶け込めない障害者もいる。しかし、これは子供のときに、いじめられたり、親に邪魔者扱いされ、コミニケーションのとり方を学べなかったことが原因だったりする事が多い。そして、20歳になったからといって、急に社会に溶け込めるわけではない。その人の人格は社会に非常に影響されている。その人の問題といって片付けられるものではない。
  本当に日本を世界に誇れる国にしたいのなら、このような事実を見つめて対処していかなければならないだろう。

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